2012年01月06日

2011年5月掲載分

今年のゴールデンウイークは如何お過ごしだったでしょうか。

毎年のことですが、この時期は在園児であっても朝から「お母さんがいい~」と言って泣く子は多いことです。

今朝は「お母さん、タッチ(して)ー!」と泣いている子がいました。


「どうしたと?」と聞いてみるならば、「今日はお母さんがよかった」とのこと。いつもは泣かない様子の子だから、今日はよっぽど我慢できなかったのでしょう。

「そうや、かわいそうに」
「今日はお母さんが良かったんだろう?」
「今日は我慢できんだった?」
「お母さんが良かった(んだろう)?」等の問いに、一回一回「ウン、ウン」と頷く子ども。そのうち周りから子ども達が集まってきて、「どうしたと?」。


「いや、実はね今日園長先生が保育園に来たら、お友達が『お母さんがいい~』て泣いていてね・・・」とカクカクしかじかと教えてやると、「ふ~ん」と子ども達。

「君はないね?『お母さんがいい~!』っていう日が」と一人の子に聞くと「・・・ある」と答え、その隣の子に聞くと「ウン」と頷き、その隣の子にも聞くと無言で頷く・・・。

「聞いた?お友達」と泣いていた子に尋ねると、その様子を見て「ウン」と答える。

「み~んな、お母さんがいい!っていう日があるんだって」「実は園長先生は大人になったけん我慢が出来るけど、小さかった頃は『お母さんがいい~』って泣きよったったい」。

「お友達だけじゃないよ、みーんな一緒だよ」と言うと、やはりウンと答える。

「今日は我慢が出来んだったんだろう?」ともう一度尋ねると、やはり「ウン」と答えます。

返事は同じですが、変わったのは子どもの様子です。泣き止み、遊びに行きました。




こういう時のポイントは「周りの子ども」だと考えています。保育者は共感者であるべきは当然ですが、周りにいる子ども達こそ実は子どもにとって『最大の共感者』だと感じています。

皆、知らんぷりみたいにして周りで遊んでいますが、経験上そうではなく、子ども達ほど泣いている子どもに、困っている子どもに共感を寄せている存在はありません。皆、気になっている様です。


だから、保育者が対応していると「どうしたと?」と誰かが必ずやってきます。そうすれば、すぐに他の子が寄ってきてやはり「どうしたと?」と聞いてきます。

例えその様子を見ても、通り過ぎたとしても、関心がないわけではなく生まれて間もないものだから対応の仕方がわからないだけのようです。

皆、「お母さんがいい~」と言って泣いてきた子ども達です。そのことがわからないはずは無いようです。「かわいそうに」と思っているようです。だからみんな同じなんだ、と言うことがわかれば子どもは次第に落ち着いてくる様に感じています。


そして大事なことは、保育者(大人)が声に出して、子どもの気持ちを表してやる事だと考えています。「かわいそうだね」と大人が言えば、胸の内に思っていることを表してきます。「かわいそうだよね」と。

保育者(大人)の言葉は、子どもの胸にある感情を表に出してやるきっかけであるべきだ、と考えています。


一緒に遊んで楽しかったら「楽しかったね」と言い、「面白かったね」と言う。ツコけて泣いていたら「痛かったね」と言う。

そういった言葉のきっかけは多ければ多いほど、いいと考えています。
  

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2012年01月06日

2011年3月掲載分

梅の花が咲き、いよいよ春になってきました。新しい年度はもうすぐそこですね。


先日ラジオを聞いていたら、「ツイッター」の話題から「今、若者の間では『断られたくない症候群』というものが指摘されるようになっている」とありました。『断られたくない症候群』(?)と思わず聞き耳を立てるならば、こういう事でした。

大体人を誘う時は、「○○さん、一緒に行こうよ」とか「△○君、映画に行こうか」等、特定の(意図する)人を指して誘うのが一般的です。

しかし、『断られたくない症候群』とは「ツイッター」の中に「飲みに行きたいな~」とか「映画を見に行きたいな~」とか文字通り「つぶやいて」人を誘う、というやり方を言うそうです。誰、とは特定せずにつぶやいてはいるけれど、「あの人に」反応して欲しい、という意図は明確に持って発信しているそうです。

じゃあ何故その人を直接誘わないかというと、「断られたくないから」だそうです。もし直接誘って断られると、「ショックを受けるから」、「嫌われているのかな、と悩むから」等の、都会の若者の声がラジオから聞こえました。

恋愛事ならいざ知らず、繊細過ぎる若者の人間関係には驚きを感じずにはおれませんでした。


宮崎 駿さん(映画監督)は著書の中で、
「僕らの町はどうしてこんなにつまらないんだろう。…で友人とよく、どうしたら良いかと話をしてきた。」
「そんなことをやっている内に、子ども達にはっきり結果が出てきた。(全部とは言わないが)若い人たちが恐ろしく優しくて、傷つきやすく、恐ろしく不器用で、グズで、いい子なのだ…。」(「虫眼とアニ眼」新潮文庫)と。


先日高校生になった卒園児が遊びに来てくれました。雑談歓談の中で、10代ならではの悩みも少し見えた事でもありました。


高校生の卒園児と話してみて、改めて思い出した言葉がありました。

「自分なりの見方でもって目の前の事に対処できる、(普通の)大人になって欲しい」(宮崎駿)と。 
 人生を切り開くのに特別な才能が必要ではなく、それぞれの立場での悩みや課題を自分なりに対処できる、または仲間や先輩らに相談していく等、普通の大人の人になればそれが一番いいのではないかと思うのです。

またそれこそが大切なことではないか、と娑婆暮らしをしていて思うのです。

因みに、先ほどの高校生に「人間万事塞翁が馬」の故事を教えてやりました。「結局何が良くて何が悪かか最後まで分からんという話。今だけで決めるな、という話だ」と教えてやると、暫くして「ありがとう。また来る」と言って帰って行きました。


いよいよ年長組さんは一年生です。まだまだこれからの人生です。

「ヨカもワルかも皆ご縁」と昔から言います。多くのご縁の中で、深みのある人生になる事を願ってやみません。一年間どうもありがとうございました。
  

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2011年02月06日

2011年2月掲載分

 寒い毎日が続きます。昔を知る人は「昔はもっと寒かった」という事を異口同音に仰います。言われてみれば私にも(昭和45生まれ)、11月は木枯らしが吹く中を、学校から帰って行っていたことを覚えています。

 しかし、要は我慢できるかどうかだと思います。寒いのはみんな一緒のはず。我慢できるかどうかの違いしかないはずです。だから普段からどういう環境を意識的に作っておくかが、大事なことのようであります。


 今年度は時々ではありましたが、子ども達の礼拝時に素話をしておりました。「ドラえもん」等をする時もありますが、その殆どは「たい焼きくん」というお話でした。今は懐かしい歌の「泳げ!たい焼きくん」をモデルに話しています。


 たい焼き屋を逃げ出してきたたい焼きくんが、海の中で色んな魚(お友達)と出会っていくという話です。そしてその殆どは少し寂しかったり、切ない別れで話は終わります。

 このような終わり方をする話を、子ども達は何故だか気に入ってくれているようです。一つにはお寺の本堂、つまり仏さまの前という環境が、雰囲気があるからだと思っています


 仏教は人間に横たわる悲しみ苦しみを解決してくれる教えではありません。ましては、それから逃れる教えでもありません。

 『人生は苦である』
というのが仏教の、お釈迦様の基本的な見方です。「苦」とは苦しいという事もありますが、基本的に仏教が「苦」という時には『思い通りにならないこと』、これを「苦」と表現します。


 しかし、現在では経済的に発展し、生活の機械化・社会の機械化により、自然と向き合っていた昔とは異なり、思い通りにならない事が日常体験として減り、またそのせいで「思い通りにならないことが」当たり前、というより『苦痛』となってきました。

 バブル以前にはなかった「癒し」という言葉の流行りを見ても、そのことがわかります。現代は「思い通りにならないことが(当たり前ではなく)『苦痛』となり、だから人々は『癒し』を求める」ようになった、と言えます。


 だから、「老い」を認めず大金出しても整形しようとするし、「病い」になれば「こんなはずではなかった」と闘わねばならないし、最後「死なねばならない」という事実も、あたかも「敗北」の様にも受け止められます。

 現代の日本社会は、思い通りにならないと気が済まなくなった社会であるかの様です。
思い通りにならないことが問題ではなく、だからどう考え、どう生きねばならないのかが問われ、問題となるのが仏の教えと言えます。


 話を元に戻します。
たい焼きくんは、広い海で独りぼっち。だけど、姿・形も全く違う色んな魚達に出会って、そして遊ぶことを通して仲良くなり、お友達になっていきます。

 しかし、永遠に続くと思われた楽しい時間は、周りの理不尽な仕打ちや、突然の出来事により、ことごとく別れを強いられていきます。

 泣きながら「お友達を返せ~」で終わることもあるし、「約束したじゃないか」と泣きながら訴え、終わる事もあります。

 しかし、様々な別れを強いられながらも、それでもたい焼きくんは独りで広い海を泳ぎ続け、お友達を求め、出会いを求めて続けていく…というお話です。

 それを、仏さまの前で子ども達に話をしています。
  

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2011年02月06日

2010年12月掲載分

12月になりました。本年もいよいよ最後です。皆様ご家族にとって良い年末年始でありますように。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」が先日終了しました。全部は見なかったのですが、それでも龍馬演じる福山雅治さんの演技力が、回を追うごとに(時代の荒波と共に)志の大きな男になっていく龍馬の姿とシンクロして、とても面白く見ることが出来ました。

この龍馬が活躍した時代(幕末から明治にかけて)、多くの外国人の方々が日本を訪れ、その様子を随分書き残していたそうです。その記述の中で「日本の子ども達の事」にも触れていたそうです。

興味深いのは「どの子もとても幸せそうに見える」「皆大切にされている」「子ども達は皆よく笑う」「子どもにとってこの国はとてもいい国である」等と記録されていることです。しかもどの国の記述・記録にもそういった文言が並んでいると言います。

勿論、当時の外国人の方から見た感想ですので、現代の日本に生きる我々の価値観や幸せ感とは違うとは思います。しかし、少なくとも当時の様子ではそう見えた、ようであります。

これはどういう事かというと、一つには当時の寿命が関係したいたようであります。

当時は子どもと母親がよく死ぬ時代であったようです。子どもも小さい内はよく死んだそうですし、それと同じようにして母親も亡くなるのが多かったようであります。出産そのものがやはり命がけであった事もありましょう。

また子どもは7歳を過ぎれば一区切り、と言われていた時代だった様です。七五三は生き延びた、というお祝いだったとも言われています。子どもは死ぬのが珍しくなかった、当たり前の時代でありました。

だから、例えば3つや4つで子どもを亡くした親はどんな気持ちだったか。

せめて子どもは子どもの時代を全うさせてやりたい、と願い、今が幸せなほうがいいんだ、それでいいんだ、という態度で子どもを見ていた、と言います。

いつ死ぬか分からないから。

子どもはいつ死ぬか分からないから、だから親は、大人は子どもの「今」を大切にしていた、と。


現代は死ぬのが珍しい時代になりました。生きていることが当たり前となり、当然とされる時代になりました。

しかし、その結果「今」を大事にしている時代であるかというと、「自殺者3万人超」が当たり前の国になってしまいました。

「今」を大事にする生き方とは、どういう生き方であるのか。

縁起が悪いから「死」というものを考えない、または遠ざけて考える生き方が「今」を大切に生きている、という生き方でありましょうか。

「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉が仏教にはあります。
  

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2011年02月06日

2010年9月掲載分

暦の上では暑い夏も終わりに近づいてきているようです。が、気分的にはまだまだ終わりそうもありません。「毎日アツかですね」、最近巷ではこれが挨拶になっているようです。

今年の夏は暑くて堪りませんでした。残念ながら、体力の衰えをはっきり自覚せざる終えない夏となってしまいました。
いきなり私事で始り恐縮ですが、実は今夏改めて感じた事がありました。
ご年配の方とお話をさせていただく機会が色々とあります。口をそろえて皆さん仰ることがあります。「一番大事なものは、やっぱり『健康』ですな~」ということです。どの方に聞いても、お金ではなく何よりも「健康」!が一番大事と仰います。

何が言いたいかというと先月も少し触れましたが、この乳・幼児期に親(大人)が子ども達に渡せる一生の宝ものは、どうやら「身体作り」のようです。
乳・幼児期は人生の「基礎」をつくる時期といわれています。この時期の子どもの体は急激に変化・発達をしています。一説によると6歳くらいまでには脳の組織は殆ど発達を完成させるまでに成長をしていくそうです。

人間は必ず老いるように出来ています。そして人生を豊かに生きようと思えば、「健康」は離せないようです。老いても尚、人間らしい暮らしを望むならば、健康である事がどうしても望ましいようです。
現在のご年配の方々は、粗食で鍛えてきた時代を若い頃生き抜いてこられました。そして今を生きる、これから大きくなろうとする子ども達は意識的に「身体作り」をしていく必要性を感じています。

どのご年配の方も「健康」であることを望んでおられます。そして、丈夫な身体を自認されている方の殆どは、丈夫に育ててくれた「親」への感謝を口にされているように思います。

室町時代に活躍した一休さんこと一休禅師は、孫が生まれたからありがたい言葉を書いてくれ、と言われて書いた言葉が「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」という言葉だったそうです。その言葉を見て怒ったおじいさんに向かって「この世で一番有り難いことは、人が順番になくなっていく事ではないのか?それともお前は反対がいいのか?」と逆に尋ねられたそうであります。
生老病死が込められた身体によって生しめられ、今生かされているのが我々であります。であるからこそ、子の幸せを願い今出来ることを考えてしまいます。
  

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2010年11月26日

2010年11月掲載分

急に寒くなり冷えてくるようになりました。秋の深まりでしょうか。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

先日の運動会はお忙しい中、沢山の皆様のご参加を頂きありがとうございました。如何だったでしょうか。

ここ数年、当園では「家族の絆」をテーマに運動会を開いています。

小学校へ行けば、小中高併せて12年間毎年運動会があるから、(乳幼児期の)「今しか」出来ない運動会をやろう!という事でスタートしました。しかし、以前は小学校運動会の保育園版みたいなプログラムばっかりだったから、なかなかそこから抜け出すことが出来ずにいました。しかし、それでも、目指すべき姿(プログラム)がキラリキラリと毎年少しづつ積み重なって、ようやく今年それが表れだしたような気がしました。


「子育ては『つ』がつくまで」と昔から言います。

九つ、までが親を疑いなく慕う時期であり、言う事、(特に)やる事を何でも真似をしていく時期であります。つまり、それだけ「お父さん」「お母さん」を求める時期だと言えます。子育ては『つ』がつくまでです。それを過ぎると今度は気の合う友人を求めだし、親から離れていく時期になるからです。

たったの10年位しか親と一緒に居ようとしないのです。今だけです。それは即ち園児にとって、生まれる前の十月十日は母親が母体であった様に、今は、『つ』がつくまでの間は家族こそが母体と言えます。


だからこそ、保育園の運動会を「子どもが『主役』」から、「家族が『主役』」と捉え直し、家族で楽しく過ごせる時間となれるように運動会を開いているところであります。
飛躍する様ですが、子育てにおいては特別なことをする必要はなく、日常の中で行う普通で、当たり前の事がいいと思っています。

当たり前であること、普通であること、つまりは日常的であること。外で遊んでつこけたとか、虫を見つけることに夢中になるとか、友達と遊ぶ・ケンカをするとか、みんなでご飯を食べるとか、この何でもない日常に起こることの積み重ね、これこそが子ども達の成長の基礎を培う為に、最も必要な環境と考えるようになりました。


『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』等の監督である宮崎駿さんは、今の子ども達に『トトロ』等は見て欲しくない、年に1回くらいでいい、誕生日位にして下さい、という事を対談集の中で仰っていました。

例えば土も、草も、虫も触ったこともない、泥だらけになって遊んだ事もない、自然の不思議さも感じた事がないような子どもに、あの世界(トトロ)は分からないと。バーチャル(非現実)なものばかりに囲まれて、脳ばかり肥大させて…と。

その上で、「今の子ども達に何が一番必要かと考えたら、引き戸をガラガラ開けるとか、縁側から落っこちてまたよじ登るとか、暗い怖がりがあるとか、そういう人間の根本にある事を体験させることではないかと思い至りました」とも書いておられました。
  

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2010年11月25日

2010年8月掲載分

先日、ずっと以前に卒園された保護者にお会いしました。もう高校生になったそうです。びっくりしました。

その子の話を聞いていると、思春期特有のいろんなデコボコがありながらも、それでも、自分の決めた道を思いっ切りよく疾走している姿が目に浮かびました。

若さと言えばそれまでですが、しかしそれでも、いつの間にか着なくてもよかったであろう重い鎧を身につけて、鈍くなっている自分の姿に気付かされたのでありました。

もう一度初心に帰って頑張ろうと思いました。こちらも、負けてはいられません。


夏になり、子ども達の体作りもこの暑い時期に合わせて環境を整えねばなりません。当園では、数年前より「汗をかける環境作り」を意識しております。

大体2歳位までで人間の汗線の数は決まるそうです。活汗線と不活汗線と言われます。しかも、一度閉じた汗線はそれ以降開きにくくなるとも言われています。

ご存じの通り、ここ熊本の地は「高温多湿」の土地柄であり、湿気が籠りやすいことが特徴です。その為に、この土地で生きていこうと思えば「汗をかける体」はその基礎とも言えます。
しかも近年地球は、(あってはならんことですが!)温暖化傾向にあります。


保育園では、クーラーを必要悪と捉えて「食事時」「昼寝時」「5時以降のお迎え時」程度に限定して使用しています(但し、現時点では0歳クラスは除く)。が、しかし、夏場は基本的にはあるものを使って子どもの体を冷やす必要があります。

「水遊び」、つまりプール遊びです。

水遊びが嫌いな子は殆どいません。あるとすれば、水に慣れていないせいで、慣れれば他の子以上に遊び出します。しかも歓声を上げて遊ぶ子どもの姿は、遊びとしてとてもいい精神状態です。自分を開放して遊べば遊ぶほど、それに見合った落ち着きが、大人になったら出てきます。それは、とてもいいことです。

水を毎日、そして涼を取るためにも効果的に使用して、夏場においては水遊びを主として、子ども達の基礎作りを目指していきます。


将来(大人になった時)、クーラーが無くても十分対応できる体作りを保育園では心がけています。子ども達の人生の心と体の基礎を作るこの乳幼児期だからこそです。

基礎だから見えない部分でありますが、基礎は最後まで(おじいちゃんおばあちゃんになっても)残るものです。人生最後に必要なものは「健康」です。基礎を養うということは、その子の人生にとっては一生使える宝物になるはずです。


さて、6月末日に行われた最後(?)の「子ども・子育て新システム検討会議」では、幾多の問題・課題を孕みながらも、ある程度の制度(システム)の方向性が出たと思われます。そしていよいよ保育園と幼稚園の名前が無くなり、「こども園(仮称)」という名前に変更・統一されるようです。

これは単に名前が変わったということではなく、今のシステムそのものが全く違うものに変わる、ということです。保育園にしても、保護者の立場からしても大幅に預け方が変わる、もしくは殆ど変わる事を予想しておかなければならないと思います。

3年後の平成25年に施行を目指すそうですが、子どもの育ちが確保できるシステムになることを願うばかりです。
  

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2010年11月24日

2010年7月掲載分

 いよいよ7月。熊本の夏が始まります。夏は暑いのが当たり前ですが、熊本の夏はここに「蒸し」が付いてきます。だからでしょうか。最近の私には、熊本の夏は気合いが必要な気がしています。

 先日あるクラスを覗くと、丁度歯磨きの時間帯にあたりました。
みんな席についてゴシゴシしている中で、していない子がいたので「どうしたの」と尋ねるならば「歯ブラシ忘れた」と言います。「そうか、それはかわいそうに」と言いながら、「じゃあ一緒に見に行こうか」と言って、保管してあるところに行くと、確かにあるのはコップだけ。「…やっぱりないね」というと黙ってコップを見ています。
「(歯ブラシ)どこにあるか知ってる?」と聞くと、「家にある」といいますから、「そうか、それはかわいそうに。みんながゴシゴシしているのに、私がしていないというのは、ちょっと嫌だったろ」「ウン」「そうだろう。わかる。かわいそうに」。
等と言っていいると、「どうしたと?」と周りの子ども達が尋ねてきます。
「お友達かわいそうなんだけん」かくかくしかじか…と話をして「君は歯ブラシ持ってきた?」「ウン。ほら!」。「ああよかった。忘れものしたら、いかんよ。忘れものしたらかわいそう。ねえ、忘れものしない方がいいよね」と聞くと「うん」と言います。
「次にちゃんと保育園に持ってきたら、園長先生に教えてよ。もう忘れ物したらだめだよ」と言い、周りの子らには「(お友達が困っている)お話聞いてくれてありがとう。また聞いてよ」とも付け加えた事でした。
次の日事務室にいると、「園長先生、持ってきたよ!」という明るい声と笑顔を見せてくれたことでした。


 最近ある方と幼児教育について意見を交換する機会を得ました。幼児の時代に必要な体験とは何か?ということについてですが、私は常々「やさしさの体験」だと考えています。

 「受けるやさしさ」もあるでしょうし、「発するやさしさ」もあると思っています。
 例えば上記の例で言うならば、ここで重要な役目を果たしているのは「どうしたと?」と聞いてくる周りの子ども達です。この子達がいないと、忘れた子の中に響くものは少ない、と考えています。
周りのお友達が「どうしたと?」と聞いてくれるから、忘れ物をした私の事をお友達が聞いてくれるから、それが「うれしい」のであり、その体験が次に困った人を見ると「どうしたと?」という方向に向かわせていく様に感じています。
それは、(できる出来ないではなくて)人として大事な感性だと思っています。人と人とを繋ごうとする、(例えそうならなくても)確かなベースになると感じています。

 保育する者の役目は、この子どもたち同士の共鳴・「こだま」を丁寧に繋げることであり、それを見ていくことだと感じています。それはすなわち、子どもは子ども達の中でしか育たないものがある、と見定めることであり、大人の役目はその繋ぎ役だと思っているのです。
逆に言うなら、子ども同士を繋いでこその幼児教育だとも思っているのです。

 「僅かしかない人間の優しさを膨らませていくのが幼児教育である」

とは、故・島崎田鶴子先生の言であります。子ども達が誰とでも繋がりあえる・繋がりあいたいと願う豊かな人生になることを願わずにはおれません。

 幼児の時代にどうしても体験させねばならないことは、競わせ能力を云々することではなく、あらゆる活動を通して子どもたち同士の中で「やさしさを『こだま』させる」ことだ、と見ています。
  

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2010年06月25日

2010年6月掲載分

 6月の爽やかな季節になりました。そして朝は随分冷える日が続いています。お身体ご自愛下さいませ。

 先日のことです。朝保育園に行くと、3歳児の男の子が玄関口に立っていました。その姿から、少し気になって「どうしたと」と声をかけると、

「…お父さんがよかったもん」と言って少し涙を滲ませました。

「そうや、お父さんがよかったと。それはかわいそうに」

「よしよし、園長先生と一緒に行こう。今日はちょっと我慢出来んだったんだろう」

と聞けば「ウン」と応え素直に手をつないできました。

向かった先は、お友達のところ。

「みんなちょっと聞いて。お友達かわいそうなんだけん」

「いつもは我慢出来るんだけど、今日はお父さんと離れるのが、我慢出来んだったんだって。朝延長先生が来たら泣きよらした」

 みんなじっと、その子の顔を見つめています。そういう時は、殆ど必ずと言っていいほど皆、子ども達は同情を寄せてきます。ある3歳児の子どもはブロックで遊んでいる手を止めて話を聞いてくれて、そして「僕は(泣いているお友達と)スーパーキッドであった事あるよ」と言ってくれました。恐らく彼は、彼なりに一生懸命お友達を励まそうと思って言ってくれたようでした。


 私はそういう哀しんでいる場面に出会うと、必ずお友達を求めます。哀しんでどうしようもなくて泣いている子どもに出会うと、必ず周りにいるお友達を求めます。

 同情してほしいからです。お父さんがいないといって、泣いているお友達がいることを知ってほしいからです。一緒に共感してほしいからです。

 その子の哀しみは共有できませんが、哀しみの『事実』は共有できると思っています。


 お父さんがいない、という哀しみ(気持ち)を分かることは出来ませんが、いないといって哀しんでいる姿(事実)は共有出来る、と思っているのです。

 「僕もそうだったことあるよ」とか、「私も(そんな時)あるよ」とか誰かが言ってくれると、分かってくれると子どもは不思議と落ち着いていくようです。その過程の中で、自分の中で哀しみを整理し、ケリをつけて、そしてまた元気に遊び出すように感じています。
 
 しかし、考えてみるならば我々大人もそうではないかと思うのです。


 ロックバンド『サンボマスター』が、歌の中で「分かち合うことの喜びと難しさは あなた自身で確かめて」と叫んでいますが、そういう場面に園で出くわす度に思います。

 哀しみを背負って生きているのはあなただけではないよと。みんなそうなんよと。みんな哀しみを背負って生きているんだよ。実は、先生もそうなんよと。

 難しいと言われる「分かち合い」、喜びがある「分かち合い」。そのことを、幼いながらも感じてほしい、と願っています。

 また、人の哀しみを見つめる中で生まれてくる生き方があると感じています。仏教には『慈悲』という言葉があります。
  

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2010年06月25日

2010年5月掲載分

 今年のゴールデンウイークはとても天気が良くて、行楽日和でしたね。暑い位でした。

 今の保育園・保育の制度は、今後近いうちに大きく変わろうとしています。

 大都市では、保育園に入れなくて困っている子どもたち・保護者が4万人を越えています。大急ぎで「受け皿」を作るために様々な方法を国が実行しています。
 例えば、保育園入所の条件を下げる、企業やNPOに保育園の経営を認める、園児数が激減した幼稚園を保育園化するなどです。 しかし、これらは、大都市だけに有効なもので、地方にとっては殆ど関係のないことです。 今の保育制度の中で、わたしたちの保育園でお預かりしている子どもたちは、ゆったり・のびのび保育園で毎日生活しています。 
 大都市の実情にあわせて地方まで変える必要がないのです。

 今後、市町村を介さず利用者と保育園が入所の可否を決める「直接契約」や、必要な時間だけ預けることができる「短時間保育」などといった、一見、今までよりもっと便利な「利用者本位の保育制度・サービス」等が見込まれているようです。

 しかし、市町村が保育園の運営に責任を持たなくてよくなると、本当に保育が必要な子どもが入れなくなる、または特定の保育園への詰め込み入所など様々な問題が発生すると思われます。 
それは即ち、地方自治体の監督の元安全管理が確保されている現行の水準に比べると、レベルも各園ごとにまちまちになり、ケガや事故が増えることも予想さられます。 
 また、「短時間の保育」を利用しても、その分、保育料が少し安くなるにせよ、契約時間を越えて預けた場合は、高額の実費を徴収されることになることも予想され、皆様にとっても「良いこと」より「悪いこと」の方が多い場合が少なくないよう思えます。(このことについて別紙マンガパンフレットを九州の保育団体で作りました。是非ご一読ください)。

 何よりも子ども達の置かれている環境がどうの様に変化をしていくのかが、大変気になるところであります。(例えば給食の外部搬入方式を、先月ついに国は認めました。幼児食のアウト・ソーイングです。いよいよ給食を出す方(園)も、子ども達に責任を持たなくてよくなるようです。そしてコストを意識したアウト・ソーイングで作る食べ物(給食)が、将来どのような形となって子ども達に現れるか。心配です)

 欧米諸国、お隣の韓国が子育てに膨大なお金をかけている一方、日本では子どもにかける財源が先進諸国の中でも、最低レベルです。
 子ども手当には、毎年5兆3千億円が必要だそうです。 
しかし、8000億円あれば、日本全国の保育料を無料にすることができます。

 
 今何が必要な手立てなのか。どういった形がこの国の方向を定める税金の使い道として最も有効なのか。それを考えてしまいます。  

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2010年04月21日

2010年4月掲載分

 春うららかなこの季節、お子様のご進級・ご入園おめでとうございます。

 保育園に慣れたお子様は、進級の喜びを見せる事もあるでしょうが、下の年齢のお子様、そして新入園児のお子様にとってはしばらく慣れない日々になるかと思います。
職員一同早くクラスに慣れていただけるように、そして保護者の皆様が安心して職場へと行けるように、子どもたちを受けいれていきたいと思っています。皆で精一杯愛情を持って接していきたいと願っていますので、どうぞよろしくお願いします。

 この時期は、兎にも角にもお子様が早く園に慣れてもらうことが一番大事なことだと考えています。生まれてまだ数年しかたっていないので、慣れないのが「当たり前」とも言えます。だからこそ、慣れない期間が長引くとちょっと可哀想になります。
 毎年申し上げることですが、こういう事でも意外と早く慣れることもあります。

 例えば、忙しいけれど夕方お迎えの時に担任と少し話をしてみる。世間話でも何でもいいのです。大事なことは先生と和やかに話をする姿を我が子に見せることです。これだけで、お子様の気持ちは随分と変わっていきます。園に慣れる環境が整いやすくなります。

 もう一つ。ご家庭での食卓での話題の中に、ちょっとした保育園の話題を入れてみる。
 事前に打ち合わせをしておいて、さりげなくお子様の目の前で、お父さん達と保育園での話題(お友達の話や、担任の話など)を楽しくしてみせます。こうしたムードを家庭で作るだけでも、随分とお子様の警戒心は和らぎます。


 乳幼時期の子どもの特徴は、お父さんとお母さんのほぼ完全なる保護を受けなければ「生きてはいけない」、ということがあります。
 昔から「子育ては『つ』がつくまで」といいます。思春期(大体10歳前後)までは親の言葉や行動はほぼ100パーセント(全て批判なく)受け入れて、自分のものにしていきます。
だからお母さんと先生とで、友好ムードを見せていくことで、子どもの態度が随分和らいだという事例はよく聞きます。
 思春期までは親の影響は絶大であります。
 がしかし、逆に言うと思春期までしかない、とも言える訳です。


 さて当園は「20年後を見据えた保育」ということで、幼児期に育てておかなければならないことは「自主性」「意欲」「思いやり」「集中力」と理解しています。これを保育の柱にすえて、「子どもを中心とした保育」を合言葉に保育をさせていただいています。
 今年一年間皆様の子育てのお手伝いをさせていただきます。何か不明な点等ありましたら、遠慮なくご相談ください。
 どうぞよろしくお願いいたします。
  

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2010年04月21日

2010年3月掲載分

 早くも年度末を迎え、区切りの新年度になろうとしています。園児は皆それぞれ進級し、年長児は一年生です。もう春ですね。

 私はよく保育の中に仏教を見ます。そして卒園児を見たり、卒園児の話を伝え聞く時にも仏教を感じます。
 日常を離れては本質(真理)は問えず、または日常であるからこそ本質が問える、というのが仏教だと思っています。

 ケンカをして思わず手が出てしまい、相手を泣かせてしまった子がいました。「ごめんね」と謝るも、泣き止まずに困っていると、周りに多くの子が集まってきました。そして泣いている子を慰め、手を出してしまった子にも「誰だって間違えることはあるよ」、とその子の胸を優しくなでていた子ども達がいました。

 給食前に、運んでいた食器をつこかしてしまった子がいました。その時「大丈夫?大丈夫?」と転んだ子どもを気づかい、その後散らばった食器を一緒になって拾い集める子ども達がいました。

 失敗したその子の悲しみを責めるでもなく、優しく接する姿に私は仏教を感じます。

 仏の姿を現すのに「慈悲」という言葉が仏教にはあります。見えない、どうする事も出来ない(人の)悲しみを見つめてこその優しさ、慈しみの姿だと思うのです。


 「子育ては『つ』がつくまで」、と昔から言います。
 つまり10を超せば、今まで絶対視していた親の悪いところが見え始め、一層友達を求めだします。つまり「思春期」に入り、親の言うことには反発を強めます。しかし、子どもの時良い思い出がある大人(他人)には意外な素の面を見せてくれます。

 家庭の事情でどうにもならない姿を見せていた卒園児(中学生)がいました。しかし、卒業後(在園当時)担任だった先生には後日、きちんと挨拶に来てくれたそうです。時折昔の笑顔を見せながら。


 子育ては家庭の責任、と言われればそうでしょうが、私は子育てはみんなでするものだ、と感じています。思春期には入った時こそ親以外の大人が、子どもには必要になってきます。
 多少やんちゃをする時もあるでしょう。しかし、その時、自分の子ども時代を知っている大人の人がいるかいないかで、その姿は大きく変わると思っています。しかも、その時(子ども時代に)、自分を気に掛けてくれた大人の人であるかどうかが大きなポイントだとも思っています。

 そしてさくらんぼ組の保護者の皆様、卒園おめでとうございます。そして、「つ」がとれるまであと僅か。どうぞお大事に。
 素敵な子ども達です。卒園しても、またどこかで会えるのを楽しみにしています。おめでとうございます。
  

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2010年02月03日

2010年2月掲載分

 一年で一番寒い時期になってきました。保育園・学校で言えば、区切りの時期まであと僅か。春まであと少しです。


 保育園にいれば、子ども達から学ぶべきことが沢山あります。

 先月は、例えばこんなことがありました。

 毎年、1月13~15日の御正忌報恩講(親鸞聖人御命日法要)には保育園児のお参りがあります。今年は3歳以上のクラスのお友達がお参りに来てくれました。お参りのお勤めが終わった後、年長児クラスの子だけが毎年御斎(おとき・仏事後の食事、精進料理)の接待を受けることになっています。

 下のクラスが帰った後、残った年長児に精進料理の説明をしました。

「年に一回の特別な料理である…」。
「本当は大人の人だけなんだけど…今日は特別に…」。
「…精進料理というのは、肉や魚を使わないお野菜だけで作られた料理です」。
などと一通り説明をしたところで、今から食べる料理に期待感に含まらせている子ども達に最後にこんな風に言いました。

「よし、じゃあみんな、『しょうじんりょうり』って言ってみて」。
「しょうじんりょうり!」

 そしてその後、少し遅れて「しょーじんりょうり!」という声が聞こえました。

 見ると、それは一番前の列の一番右手にみんなと一緒に正座して座っている、少しだけ言葉の遅れのあるお友達の声でした。私は驚きと感動を持って、その子を見つめました。そして言いました。

 「わー、言葉が上手になったね!みんな聞いとった!?お友達上手にならしたね!」。「ウンウン」(みんな)。「みんながやさしくするけん、お友達は上手にならしたとじゃないと」と言うと、「えへへへ」とみんなで照れていました。


 その時はっとしたのでありました。最後の言葉はとっさに出た問いではありましたが、みんなが照れて笑い合っている姿を見て、「本当にそうではないかな!」と感じ取りました。


 だって、このお友達はみんなと一緒に「現に」「今」「ちゃんと」座っています。

 子どもが「ちゃんと座る・みんなと座る」、というのには理由があります。みんなから受け入れられている、認められていると感じるからこそ、「居場所」があるのだと思うのです。居場所があるから安心して人の話を聞こうとするし、今、私の話も一生懸命聞いて応えてくれたと思うのです。

 また、それを裏付けるかの様にみんな照れて笑いあっていました。「やさしくした」という思い当たりがあるから「照れる」んだろうと思うのです。そうは思ってはいなかったけども、そう云われればそうかもしれないな~と思い当る事があるから、思わず照れたんだろうと感じたのです。


 そう考えると、「人が生きる」とはどういうことかを考えさせられました。

 能力が高いことはそれはそれで素晴らしいことでしょうが、それだけでは人は生きれないでしょう。娑婆世界はそれだけ厳しい世界であります。だからこそ、そうではない世界が必要であり、ないと辛いだけではないでしょうか。

 もし、この場に、「やさしさ」がなければ、誰もこの場には座ってはいないでしょう。ウロウロしているか、座っていても人の話に耳を傾ける子どもはいないでしょう。
そこにいる子ども達の姿から「やさしさ」のもたらす人間世界・あるべき人間の姿を垣間見せられたことでありました。


 私はまた一つ、子ども達の姿から学びを深め、これからの子ども達に伝えねばならないことを確信したことでありました。

  

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2010年01月06日

2010年1月掲載分

新年のご挨拶を申し上げます

 昨年末に保育界を一時騒然とさせた話題の一つに「設置基準の緩和」がありました。


 現在(国の)認可保育所には全国一律の設置基準があります。これは、子ども一人当たりの面積を施設内で確保しなければならない、というもので現在それを下回ることは法律上禁止されています。

結果的に「一部の都会を除き、現状維持」で決着を致しましたが、「地方分権」の流れもあり、保育所も同じ俎上に乗せようという動きにも見えました。


 「緩和」と表現されましたが、実質的には「撤廃」と思っています。

 この流れには「地方分権」と「待機児童解消」があったようですが、もし実施されれば、それでは収まらない禍根を残すことになっただろう、と考えています。


 その時々の首長の考えで、園児一人当たりの設置基準が「変われる」としたら、現場は対応が出来なくなります。もう少し詳しく言うと、困るのは現場の保育士よりも「園児」になるだろうと思います。
過密した空間に園児が長時間いる事になると、落ち着かなくなり、無用のケンカ・トラブルが多くなることは想像に難くありません。

 例えば乳児を例に挙げると、乳児達を密集させるとかみついたり、不安定になったりすることがこれまでの研究でも分かっています。そもそも、生まれたばかりでありますから、「狭くなったからみんな我慢してね」と言っても当然理解できる年齢ではありません。当然その状態を引きずって家に帰ることになると思います(夜泣き等)。


 保育研究の第一人者であり白梅学園大学学長の汐見先生は「落ち着いて遊びに熱中できる空間が、自尊感情や感性を育てる」として、全国一律の設置基準緩和(撤廃)には反対をしています。

 
 現在の設置基準を「上げる」のであれば問題はないのですが、現状ではこれを上げる事は考えられません。基準を上げれば保育所定員を「下げ」なければならないからで、「待機児童解消」が課題となっている現在ではそれが出来るはずはありません。(因みに、先進国と言われる国の中で、基準が一番低いのが日本です。現状でも低(狭)いのです)


 従って「全国一律」をそれぞれの地方へ委ねれば、下げる(狭くなる)事はあっても上げる(広くなる)事は考え難いのが現状と言えます。(ある大手新聞社は、社説に「地方を信じて」との趣旨で基準緩和(撤廃)を支持していましたが、これはジャーナリストとしての見識・良識を疑うものであります)


 如何でしょう。狭い部屋に子どもが押し込められている保育所に、我が子を預けたいと思われるでしょうか。待機児童が深刻化している都会でも、預かってくれるだけでもありがたい、と言いながらも殆どの親御さんが毎年認可保育所への入所申請を行っていると聞きます。やはり、少しでも良い環境で子どもを育てたい、と願うのが親だからではないでしょうか。

 その時々の市町村の財政状況に左右されることなく、子どもの生活環境を国が一律保障する、というのが「全国一律」の意味であり、それを「緩和(撤廃)」する、というのは地方分権とはまた違う次元の話と考えます。


 新年早々でありましたが、保護者の方には子どもを守る意味でこの流れ、本質を知ってもらいたく書いた次第です。


 本年も子ども達の健やかな成長を職員一同念じ申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いします。

  

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2010年01月06日

2009年12月掲載分

いよいよ12月、年の瀬が近づきました。早いものです。皆様は如何年末をご予定でしょうか。

「火垂る(ほたる)の墓」の原作者である野坂 昭如さんの「生キ残レ 少年少女」という本を手にしました。1980年代、ちょうどバブルの頃に書いた文章をまとめた本のようでした。

戦後の焼け跡の中で自身の妹を餓死させた、という体験を持たれるだけに、「二度と飢えた子どもの顔を見たくない」という信念にも似た思いが伝わってきます。と、同時に作者・野坂氏のお米に対する渇望にも似た執着を感じたことでありました。


のっけから何を…と思われたことでありましょうが、実は先日ある保育の会合で「掃除機を扱えない実習生が出た!」という話を聞いたからでありました。

話の真偽はともかく、掃除機を扱わずに大人になったとするならば、出来なくて当然でしょうし、また慣れていなければ(初めて扱うタイプの掃除機を)どこをどう触っていいかわからない事もあるのかもしれません。いずれにせよ、保育園と言うところは「生活」を通して子どもに学びと躾けや社会のルールを伝えていくところであります。

生まれたばかりの子ども達ばかりですから、「一緒にしながら」でしか伝えることは出来ません。…と言うことは「生活」に慣れていなければ、子ども達に何も伝えることは出来ないかもしれません。


とは言っても、「生活」出来ない若い子らが悪いわけではないと思うのです。

戦後の高度経済成長の中で、最近の食洗機に代表されるように生活の機械化が進みました。今では包丁を握らなくともボタン一つで食事が出来ると言っても過言ではありません。以前はそうではなかった、というだけの話です。

何もしなくても、何も学ばなくても「生活」が出来るようになったとも言えます。

掃除機をうまく扱えないとしたら、おにぎりは美味く握れるだろうか…。それがすぐに思った感想でした。そしてもう一つ、「生きる力」という言葉を考えた事でした。



先日は、稲刈りの風景をよく目にしました。ご年配の方々が圧倒的に多い風景でもありました。
果たして10年後、20年後日本で稲刈りという風景、そしてお米が今のように手に入る時代が来るのだろうか、と思ってしまいます。

野坂 昭如さんは、御馳走には「まず箸をつけない」そうです。「餓死した妹のことを思うと、とても食べられない」と告白されています。戦後何十年たってもその呪縛から離れられないのだそうです。

また昭和20年3月から22年頃までに都会では人が沢山餓え、またその為に幾度となく地獄絵図を見てきた、とも書いておられます。それらを踏まえた上で、「農(お米)」の大切さ、そして敬意を払うことの大切さが書いてありました。


保育園にいるこの小さな子ども達もいずれは大きくなり、大人になっていきます。生きていれば、遅かれ早かれ「生きる力」は必ずどこかで問われます。

野坂さんの本を通して、お米をもっと大事にしよう、と思った事でした。お米をもっと食べるようにしよう、と思いました。


保育園でも子ども達に「ごはんの美味しさ」を通して「農(お米)の大切さ」を伝えられないか、と考えています。

  

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2009年11月04日

2009年11月掲載分

先日の昼過ぎ、出張先から帰ると園児が先生に何かを言っていました。

どうやら泥団子を壊された、とのこと。壊したとされる園児はこちらの方をジッと見ています。様子を見れば大体わかります。わざとじゃないんだな、と。

「そうかそうか。よしよし、園長先生が聞いてやる」と言って一緒に行って尋ねてみました。「どうしたと、ちょっと(お友達の)壊しちゃったの?」と聞けば、「うん」とのこと。「そうか。だけど、わざとじゃないんだろ」か細い声で素直に「うん」と頷きます。

やっぱりな、と思いながら「そうか…。じゃあお友達には謝った方がいいんじゃないかな。園長先生が手伝ってやる」と言えば、小さな声で「(もう)謝った」とのこと。

「えらい!そうか。私が悪かったな、と思ったから謝ったんだろ。えらいぞ!」「よし、園長先生も(お友達に)謝ってやる。ごめんね、わざとじゃないけん許してやって」と言えば、それまでの様子をじっと見ていた園児は「…いいよ」と応えてくれました。

嬉しくて謝った方も、許した方にもどちらにも「えらい!」「すごい!」「すてきだ!」と気持ちを伝えていると、二人ともニコニコ。ようやく笑顔が戻ってきました。


それを見て安心して「じゃあ、園長先生行くけん」と言って門に向うと、ちょうど(謝った方の園児の)お迎えでした。お母さんに「丁度よかった。あそこに(遊んで)いますよ」と伝えて歩き出すと…後ろから大きな声が飛んできました。お母さんに「何で早くこんとね!!」と訴えている涙声が。

最後はニコニコしていたから、正直その声にはびっくりしました。私が思っている以上に、不安で、どうしていいか分からなかったのでしょう。その子なりに必死に耐えていた様子が伝わってきました。


保育園は「児童福祉」であるべきだ、と思います。こういう場面に出会う度に思うのです。

福祉であったからこそ、戦後の保育界の歩みは「子ども達と常に」でありました。

それは子どもの健やかな成長を願い、人間の優しさを育もうとする試行錯誤の歩みでもありました。その結果、子どもに関する膨大な研究の成果や実践の記録が積み重ねられました。経営・経済ではなく、あくまでも「子ども」がその真ん中にありました。

福祉であったからこそ、「子どもの為」に骨身を惜しまないのが保育士(という職業)の伝統にもなってきました。それは、親と離れた子どもの哀しみの姿がそこにあったからだと思うのです。

故に子どもの哀しみに共感するのが「保育士」という職業であり、保育園であり、児童福祉であったと思うのです。


子どもの哀しみを離れて、能力を伸ばそう、何々をさせようと思っても、それは戦後何十年も掛けて子どもと共に歩んできた保育の伝統ではないだろうと思うのです。

保育園である以上は、この視点を離れてはいけない、と思うのです。
  

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2009年11月04日

2009年10月掲載分

先月は、新型インフルエンザ対策には多くのご家庭からご理解とご協力を賜りましたこと、厚く御礼を申し上げます。


お陰様で園内での広がりは、10月1日現在で149名中6名(別ルートでの発症園児を除く)と、全体の僅か4%という結果になりました。

しかも一クラスのみだったという事を考えてみても、各家庭でのご協力により広がりを抑え込むことが出来た!と思っています。正直、一時はどうなることかと思っていましたので、本当に有難くうれしく思っています。


園としましては掲示板でお知らせの通り、一旦警戒レベルを下げて日常の生活に戻すことを考えています。
無論、園児に対して手洗いやうがい等の出来る限りの予防策は今後とも実践・指導していきます。


更に、お気づきの事と思いますが、今回園庭にまとまった泥を置きました。変化をつけることにより、一人でも多くの子ども達に外で遊んで欲しいからです。

これも「インフルエンザ対策」です。

夏前にも書きましたが、インフルエンザ対策にその予防策は限られていると感じています。もともとの感染力が凄いからであります。

だからこそ「体そのものを強くする」という発想は不可欠です。特に体の成長発達が著しい幼児には、その視点が必要です。

但し、0・1・2歳児は別と考えます。成長著しいことに間違いありませんが、歩行が完成していない段階は基本的に「完全保護」が大前提となるべきです。

完全歩行できないから、体力増強は一歩一歩です。飛躍的向上を望むことにはそもそも無理があるからです。


この時期、子どもの体を鍛え、食欲につながりやすいのは外です。砂よりも泥の方が遊ぶ、と聞きました。
「天高く馬肥ゆる」秋だからこそ、外で遊んで欲しいと願っています。特別な方法はありません。日常の生活の中でしか、本物は培われないと感じています。


とは言え、「手洗い」と「うがい」は感染予防の王様です。

それまで長い間3000万人で推移していた日本の人口を飛躍的に増やすきっかけになったのは、意外にも明治の文豪・森鴎外の成果だとも言われています。

当時軍医だった鴎外が、それまで無かった『手洗い』と『うがい』を初めて提唱し、軍隊に導入したのがきっかけと言われています。それだけで人が簡単に死ななくなり、明治以後日本の人口が増える契機となったそうです。  

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2009年09月05日

2009年9月掲載分

ある日の昼前、保育園に行くと「ワ~ン!」と突然泣きだした子がいました。

それも突然でしたので、こちらもビックリしたのですが近くにいた3歳児の子に聞くと「お母さんがいい、て泣きよらすと」と言うのです。担任が近くにいましたので、すぐに「どうしたと?」対応していたのですが、本当に「お母さんがいい~!」と泣いていたのでした。


よく分かったな~、という思いと共に「そうだよね、お母さんがいいよね」と言いながら、「お友達、かわいそうだよね」と近くにいた3歳児の子ども達に言うと…、「私のお母さんはお仕事に行っとらすもん」とか「僕のお母さんはお仕事が終わったらすぐ来らすもん」とか「私は今日泣いてないもん」とか、堰を切ったように私に話し出しました。

それはそれは、一気にでありました。

「そうか~。私達は、今日は泣かんでよかったと?」と尋ねると「ウン」と言います。「じゃあ、アノお友達が泣かすのはわかるど?」と聞くと、力強く「ウン」と言います。


何気ない顔で(泣いている子の)傍に立っていますが、子ども達は子ども達同士で共感し合っているようです。「かわいそうだな~」って思っているようです。「あの友達、かわいそうだね」と言うと、その子なりの泣いている子に対する想いを一生懸命言ってきます。幼いながらも。


「わずかしかない(人間の)優しさを膨らませていくのが、『幼児教育』である」とは、長年筑豊地方で保育指導に尽力された故・島崎 田鶴子先生の言であります。

そして、「自分だけの哀しみや苦しみに溺れていてはいけない」とは、故・山本 周五郎(作家)の言であります。


頼るべき親がいないのが保育所であり、経験がないのが子ども達であります。時にはどうしていいかわからなくなるのでしょう、困った姿を見せてしまう事もあります。

しかしその時に思い出します。亡くなった島崎先生の言葉を。山本 周五郎の言葉を。その時に、少しだけ先に生まれた者として、先に少しだけ娑婆に出た者として思うのです。


泣く事はいけないことか?お母さんを求めてはいけないのか?ケンカをするのはその子だけのせいなのか?嘘をつく子だけがいけないのか?困った姿を見せてはいけないのか?幼児は、迷惑をかけてはいけないのか?…


だから思うのです。


そんなことはないだろう!と。  

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2009年09月05日

2009年8月掲載分

雨がようやく上がりました。今年の夏は思いのほか短いかもしれませんね。皆さんの夏はどの様なご予定でしょうか。


 先日行われた夏まつり午前の部は、隣にありますケアコート本町利用者の方をご招待しました。あいにくの天気でしたが、大勢の方が来園され園児と共に楽しいひとときを過ごす事が出来ました。

 子ども達の歌を聴いてもらって、じゃんけんゲームをして、一緒にお話を聞いて…それだけの時間でしたが、見ていると少なくない方々が涙を流しておられることに気がつきました。


 私は保育園にいると、よく子ども時代の自分を見つける事がよくあります。

 例えば、「お母さんがいい~!」と言って泣いている姿であったり、無くし物をして困って泣いている姿であったり、ケンカをして泣いている姿であったり…と。

 今では大人になり泣く事すら滅多になくなり、(変な話し)「そんな事ぐらいで…」と思う事もありますが、しかし考えてみるならば私にも子どもの頃はあり、「そういえば、あん時は自分もそうだったな…」と泣いている、哀しんでいる子どもの姿に自分の子ども時代を見つけます。


 困難極める娑婆を渡世してこられ、若い頃は自信に溢れ、それぞれ与えられた仕事をバリバリこなしてこられた方々ばかりでしょう。

今では、今でこそ、車椅子に乗って生活を送っておられるこの方々も、私達と一緒。

今でこそみんな大人になっているけれど、私達と同じようにして子ども時代があり、この子(園児)達と同じようにして、暑い日だろうと関係なく元気一杯だった、エネルギーの塊だった時代が…。

 きっと思い出しておられるのではないか。自分の子ども時代を、元気一杯に歌っている子ども達の声に、自分の子ども時代を、懐かしい人々や風景と共に、思い出しておられるのではないか…。そんな風に思いました。

 誰だって、若い頃があったんだよな、と。希望に満ち溢れ、エネルギーの塊のような時代があったことを。その事を改めて教えていただきました。



 『しあわせはそこにある』という詩があります。忙しい時に務めて思い出すようにしているのです。

しあわせは そこにある
でも その事に 気がつくのは
いつも さよならを いった 後

 
 「愛別離苦」という言葉が仏教にはあります。
  

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2009年09月05日

2009年7月掲載分

暑い夏がやってきました。子どもの頃はウキウキしていましたが、年を重ねるにつれグッタリしてくるような気がします(笑)。引き換え子ども達は元気です。

今年の夏はご家族で何をご予定でしょうか。


先日の早朝奉仕で草むしりの他に、プールの屋根に壁(ビニール)を張るのを手伝ってもらいました。

今年の夏は、出来るだけ水遊びを各クラス取り入れて、出来るだけ長くプールが出来るようにと考えています。「暑さ対策」もありますが、今年は来るべき「冬」に備えて!という思いが強くあります。

そうです!新型インフルエンザ対策です。

基本的にインフルエンザは感染力が強いので、防御策には限界があると言われています。今年の冬にも園便りに書きましたが、インフル対策には「根本的に体を強くする」という視点が、乳幼児期には必要と思います。

その為にも夏の過ごし方は重要です。


まず体を冷やすのに、「水」を多用します。エアコンはなるべく使いません。

そして水遊びには体力が要求されます。体を維持するために、食事と休息が必要となり、体を強くする、という趣旨にとても合っています。

それから、汗腺の数は2歳くらいまでに決まる、とも言われています。活汗腺と不活汗腺です。エアコンでは、汗はかけません。

汗をかく体は、熊本の地で生きようと思えば、必須と言えます。

また、水は体を冷やすのみならず、気持ちを「開放」へと向かわせます。精神的高揚が高ければ高いほど、逆にそれに見合った落ち着きも出てくる、と言われています。
子どもが遊びに興奮する、ということは実はとても大事なことなのです。


今年度は正直予算確保の面でおもわしくなく、一時期はプール屋根は見送る方向で検討をいたしましたが、新型インフルエンザの報道に接し、また広がりを見て、更に弱毒性がどのように変化するか、わからない状況でしたので思い切ってプール屋根を作った次第です。


水遊びで体を冷やし、汗をかきやすい体作りを目指して、園の環境を整えていきたいと考えています。

来るべき冬に備えての体作り、とご理解を戴きたく願います。また、クラスによっては、洋服の着替え補充等のお願いをするかもしれませんが、上記の理由の為とご判断をいただき、ご協力をお願い致します。
  

Posted by ひかり保育園 at 21:29Comments(0)TrackBack(0)2009年度